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せりゃあ~!

「せりゃあ~!!」

「しょあ~!!」

「うりゃあ~!!」

・・・私は昨日の約束組手でできた上腕と脛のアザを見ながら、道場いっぱいに響き渡る、そんなKさんの「気合」を思い出していた。

そして、「あの、気合はすごいよなあ~」と思わず笑みがこぼれた。

この上腕と脛のアザを作ってしまった約束組手の相手をしてくれたのが、このKさんだ。最近は「チャユ・マッソギ(自由組手)」でアザは作ることはあっても、この約束組手でアザを作ることはなかった。

このKさんは例え約束組手であろうと上述したような強烈な気合に負けないくらいの強烈な強打を打ってくる。私も気を抜けばその強打を避けきれず、もらってしまうのでその打突をはじき返すほどの「ガッチリとした」受けをすることになる。さすればアザができることもあろう。

当然といわれるかもしれないが、このような「気を抜けばもらうぞ!」くらいの緊張感の中で練習するのが約束組手の本来の姿であるように思う。時に我々はこれらの練習の意味を忘れ「昇級審査のために」というような情けないスタンスでこれらの練習をしてしまうことを反省しなければならない。相手との距離も考えず当たらない距離で、あたらない拳・脚の動作だけを繰り返すような練習していれば、実際のマッソギで突っ込んでくる拳・脚をよけられるはずもないであろう。

テコンドーには多くの稽古法が存在する。ゆえに我々未熟な稽古生の勝手な取捨選択で勝手に稽古に優劣をつけて「手を抜いてしまう」という愚を犯しているのかもしれない。

私は高校時代「少林寺拳法」を習っていたことがある。少林寺拳法のユニークなところがいわゆる「型」がないこと(厳密に言うと補助的な型は存在するが・・・あくまで補助的)。基本を覚えると次のステップは即「約束組手」となるわけだが、逆にこのステップになると後はひたすら、毎日毎日この約束組手を繰り返すことで強くなろうという修行体系になっている。とうぜん彼らのこの約束組手に対するプライオリティーは高い。(といういうかそれが全てみたいなところがあるからね)。

「約束組手」に比重を置きすぎる修行体系が良いか悪いかの議論はさておき、すくなくとも我々テコンドーにも立派に組み込まれている練習をいいかげんに手を抜いてやっていいことはない。

・・・私は気合満点のKさんとの練習を思い出しつつ、そういえば昔、日常的にあった、この日作ったような上腕と脛のアザを自慢げに友人に見せていた若かりし高校生時代を多い出した。

しかし、このKさんて(おそらく)私より歳が上なんですよね(笑)。・・・なんか年上のKさんとの練習で若かりしころの自分を思い出している自分がなんか可笑しく思えた。

でも、そうさせてしまうほどにKさんの

「せりゃあ~!!」

はパワルフだってことでしょうね(笑)。

2006/12/13(水) | テコンドー道場稽古 | トラックバック(0) | コメント(0)

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