まずはある本の引用から・・・
『マーシャルアーツという格闘技を通じて、もっといろいろなことを学びたい、もっといろいろなことを知りたい、もっといろいろな技を身につけたいという欲求を持つにつれ、つまり知識が豊富になるにつれ、精神の力もまた強くなっていくということを知った。現在にあってもこの気持ちに変わりはなく、そうした強い欲求に基づいて得た”知識”は”力”になり得るということが理解できたのである。』
これは伝説のマーシャル・アーティスト”怪鳥”「ベニー・ユキーデ」の著書からの引用である(「格闘技に生きる(スポーツライフ社)」・・・1982年版だから・・・絶版でしょう^^;)。

ベニー・ユキーデといえば我々30代後半世代よりもさらに少し前の世代。我々にとっては高校時代ジャッキー・チェーンのスパルタンX出演したことがきっかけで結構話題になった。
私もリアルタイムでベニーの試合は見ていないが、当時(高校時代)この本を書店で見つけたことが原因でベニーを尊敬するようになった。本書は「自叙伝」的な図書であるが、この図書と姉妹本である技術書「実戦フルコンタクトカラテ」の内容が、当時としては珍しく(今でも?)テコンドー的な飛び蹴りの解説が随所にあったりと、若い私としては非常に衝撃を受けたのを覚えている。

さて、引用文に戻ろう。
「知識」についてのベニーの見解。格闘技に限らず多くのスポーツでも「知識」については「知識だけでは」という意味で「ネガティブ」に語られることが多いのではなかろうか?
「頭で分かっても、実際に身体が動かなければ」「机上の空論」「頭でっかちになるな!」等・・・
確かにそうなのだが・・・私は最近「知ることは力である」というベニーの主張を改めて・・・「その通りだ」と思う場面が多々ある。
「知らなきゃ出来ない」
あたりまえのことだが、一生懸命練習しても「知る努力」を怠る人は多い。つまり考えなしにやみくもに練習していている人たちだ。
非常に、卑近な話になるが・・・最近「世界大会」のDVDを毎日の日課(ノルマ)として見るようにしている・・・「知る努力」として。・・・・不思議なもので(というかあたりまえかもれないが)実際の練習の場でDVDで見ただけの動きが無意識に出ることは結構あるのだ。むろん知らなければ絶対できない動きだ。
「知る」だけでも確かに「力」になる。・・・これは経験的に間違いない。
「知識」は必死に身体を動かして練習することと同じくらい「必死に知る努力」としてするべきなのかもしれない。
くどいようだが「知らないことは出来ない」のであるから。
『マーシャルアーツという格闘技を通じて、もっといろいろなことを学びたい、もっといろいろなことを知りたい、もっといろいろな技を身につけたいという欲求を持つにつれ、つまり知識が豊富になるにつれ、精神の力もまた強くなっていくということを知った。現在にあってもこの気持ちに変わりはなく、そうした強い欲求に基づいて得た”知識”は”力”になり得るということが理解できたのである。』
これは伝説のマーシャル・アーティスト”怪鳥”「ベニー・ユキーデ」の著書からの引用である(「格闘技に生きる(スポーツライフ社)」・・・1982年版だから・・・絶版でしょう^^;)。

ベニー・ユキーデといえば我々30代後半世代よりもさらに少し前の世代。我々にとっては高校時代ジャッキー・チェーンのスパルタンX出演したことがきっかけで結構話題になった。
私もリアルタイムでベニーの試合は見ていないが、当時(高校時代)この本を書店で見つけたことが原因でベニーを尊敬するようになった。本書は「自叙伝」的な図書であるが、この図書と姉妹本である技術書「実戦フルコンタクトカラテ」の内容が、当時としては珍しく(今でも?)テコンドー的な飛び蹴りの解説が随所にあったりと、若い私としては非常に衝撃を受けたのを覚えている。

さて、引用文に戻ろう。
「知識」についてのベニーの見解。格闘技に限らず多くのスポーツでも「知識」については「知識だけでは」という意味で「ネガティブ」に語られることが多いのではなかろうか?
「頭で分かっても、実際に身体が動かなければ」「机上の空論」「頭でっかちになるな!」等・・・
確かにそうなのだが・・・私は最近「知ることは力である」というベニーの主張を改めて・・・「その通りだ」と思う場面が多々ある。
「知らなきゃ出来ない」
あたりまえのことだが、一生懸命練習しても「知る努力」を怠る人は多い。つまり考えなしにやみくもに練習していている人たちだ。
非常に、卑近な話になるが・・・最近「世界大会」のDVDを毎日の日課(ノルマ)として見るようにしている・・・「知る努力」として。・・・・不思議なもので(というかあたりまえかもれないが)実際の練習の場でDVDで見ただけの動きが無意識に出ることは結構あるのだ。むろん知らなければ絶対できない動きだ。
「知る」だけでも確かに「力」になる。・・・これは経験的に間違いない。
「知識」は必死に身体を動かして練習することと同じくらい「必死に知る努力」としてするべきなのかもしれない。
くどいようだが「知らないことは出来ない」のであるから。
2007/04/29(日) | 格闘技マニア | トラックバック(0) | コメント(3)


